信濃國【宮田村】— 熱量の砦・ヤマト王権の志を未来へ紡ぐ
宮田村|王権の志が風に宿る、暮らしと志のものがたり
諏訪の武士が台頭するなかでも、皇室の威を受け継ぎ、その神威をもって外からの圧力を力へと変えてきたのです。
その背景には、ヤマト王権から伝わる朝廷の権威があり、やがて幕府からの信任も得て、独自の秩序と雅を築き上げました。
外から吹く風を拒まず、しなやかに受け入れ己が力とする志は、今もなお息づき、未来へ進む礎となっています。
外からの風を受け、
しなやかに抱きとめ、
力へと変えてきた村。
第一章|ヤマト王権の志を継ぐ、誇り高きいにしえの商家
宮田村は、古くより東山道と三州街道(伊那街道)が交差する“道の要”として栄えました。中央と地方を結ぶ「律令の結び目」として、ヤマトの秩序を静かに支えてきたのです。
その背には、ヤマト王権の時代より続く、皇室との深い結びつきがありました。
かつてこの地では、朝廷に納める麻布(あさぬの)を織り、村人たちは「皇に仕える」誇りを胸に、日々の営みに精を出していました。
かの商家もまた、“中央と結び、誇りをもって商う”という魂を、今に伝える静かな語り部なのです。
やがて武士の世となっても、村はその気品を失うことなありませんでした。
朝廷との結びを背に、街道を行き交う者たちに力を与えてきのです。
その佇まいには、かの諏訪の武士たちすら一目を置いていたと申します。
— かつて、麻を織り、馬を商い、日本武尊の信仰を支えた者たちの志 —
その誇り高き魂は、今も恵比須様の微笑みに包まれ、そっとかの商家に宿っています。静かに開かれし古(いにしえ)の扉の奥には、幸わいを招く“福の結界”が、たしかに息づいているのです。
第二章|雅印の里―王権の志を継ぎし村、町屋の物語
信濃の國、天竜川の中ほど。
その流れ、しばし絞られしところにして、
豊穣なる土に恵まれし地——宮田村は、雅(みやび)の印を結んでいます。
縄文の昔より、平安の世となっても、
この地は朝廷とまじわりて潤い、
その“雅(みやび)”の誇りを胸に、日々の営みを紡いできました。
はるか遠き昔——
ヤマトなる王権の志を受け継ぎ、その誉れのもと「梅」の雅印(がいん)を授かったのです。
その輝かしき威光により、村は栄えてきました。
遥かいにしえの「皇(きさらぎ)」の記憶を刻む“ヤマト王権の面影”が、
今も確かに息づいているのです。
かの地に息づく“雅”の道の残響は、縄文・弥生の時代から、東山道、三州街道、そして今に至るまで、静かに響き渡っています。
ある者は銅鐸を携え、ある者は都に仕える使いとして、ここで水を一杯もらい、小田切川を渡っていきました。
江戸の世には宿場町の中心として殿様を迎え、今もなお、この道と土の匂いは変わらず、旅する者を静かに迎えています。
悠久の時の流れとともに歩んできた古(いにしえ)の町家は、今もここに佇み、旅人をそっと見守っているのです。
水をひと口召されよ。都までは、なお遠し…
第三章|いにしえの古き家に薫る、平家若武将の雅なる志
若き志、古(いにしえ)の時を渡りて風となる ―
かつてこの地には、一人の若武将がいました。その名は、菅冠者 友則(すがのかんじゃ とものり)と申します。
平家の血を引くその者は、地方にも源平の争乱が広がる中、故郷を守るという志を胸に、刃を振るったのです。
たとえ身内が源氏になびこうとも、若さゆえの一本気。命と誇りを懸けて戦い、やがて命は散りました。
けれども、その生き様は、この地にしかと刻まれたのです。
高くそびえる土塀 —
誇り高き若武将の志を映す、四角く刻まれた紋様。そのひとつひとつに、いにしえの想いが宿ります。
若き者よ、その志を貫きたまえ——。
今もなお、この地は、若き平家の者が遺した“志の結界”により、静かに守られているのです。
…若き命と誇りを懸けて散った、平家の若武将・菅冠者友則。
その“残響”は、いにしえの“まほろば”として、今なお静かにその気配を漂わせています。
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