信濃國【高遠藩】— 魂を律する武士どもの誇り、土地の氏の理に宿る
城下|東(あずま)どもの武士の志、いまもこの地に鎮まりぬ
第一章|武士と諏訪ー魂の理にて己を律す
諏訪の大神(おおかみ)は、信濃国の山々に抱かれし古より武士たちの魂の拠りどころでした。
その真(まこと)の奥つ方に、いにしえの神々が伝えし土地の魂を鎮める智(ち)を宿してきたのです。
戦乱の世ともなれば、信玄公をはじめ名だたる将たちが、己が魂を神に奉じつつ、諏訪の大神へ祈りを捧げました。
止むなき戦(いくさ)の理(ことわり)とは、何(なに)ぞや。
武士どもは、諏訪の神々に己が魂を鎮め、静かに問い続けるのでした。
第二章|高遠の誇りー律する魂の襷(たすき)
その誇り高き土着の魂は、静々と神々の御前へと鎮められていきました。北条執権の記憶もまた、いにしえの奥つ方にそっと封じられていったのです。
武の者どもは名や位に心動かさず、己が誇りと律する魂を重んじました。その清らかな調べは、なお徳川の世にありても粛々と息づいていたのです。
天龍川に抱かれし高遠の地は、諏訪の八百万の神々の気配に包まれし処なり。
武士たちの魂は今もなおこの地に鎮まりて、神々の言霊を密やかに宿しています。
いにしえの国津神の記憶は、龍の風にそよぎ、地に沁みわたり、山河の奥つ方にひそやかに棲み鎮まっているのです。
諏訪の大神の理(ことわり)の灯は、今もなお微かではあれど、確かにあすの世をも照らしています。
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長谷|宗良親王の志、いまに宿る“祈りの隠れ里”
秋葉街道は、塩を運び、祈りを結び、魂を導いた“いのちの道”でした。
親王を助けた諏訪大祝の信義と、里人の願ひが重なり、この地は祈りの結界となったのです。
やがて戦国の世、八人の侍が散りし後も、その志は柿の実に宿り、民の暮らしを見守り続けています。
今もなお、変わらぬ土の香とともに、いにしえの祈りは長谷に生きているのです。
第一章|南朝の祈りの道に、民の願ひ宿る
— 南朝の祈りの道に、民の願ひ宿るー
赤石の嶺々(みねみね)連なる、その麓の地に長谷は息づいています。
いにしえの頃、南朝の宗良(むねなが)親王は、この道を静かに行き交われたと申します。
秋葉(あきは)と呼ばれるその街道は、塩を運び、命を紡ぎ、祈り深き“魂の道”でした。
かの親王は、街道のほとりにひそやかに身を寄せ、世の片隅に息づく民のため、祈りを捧げていたのです。
その御身(おんみ)は、八百万の神々の神託を静かに宿していました。
かくして、南朝の志は、山の神の気配に、谷龍の風に、そして土の香を纏い、静かに、この地に刻まれていったのです。
そのどこか懐かしき、大地(おおつち)の鎮まりたる龍気は、今もなお、そっとこの地に眠りています。
第二章|実りに宿る静けき志、命の残響 灯となりて
宗良(むねなが)親王の志は、南朝の旗のもと、密やかに結ばれていきました。
諏訪の大神を祀る神裔(しんえい)――大祝なる氏(うじ)は、密かに親王を助けていたのです。
かの武人は、世の政(まつりごと)に頭(こうべ)を垂れつつも、現人神(あらひとがみ)として、密やかに南朝の灯に祝詞を捧げていました。
いにしえの理(ことわり)を、ふたたび世に顕さんと願っていたのです。
かくして、その土着の魂は静かに、されど確かに、この地に宿り、世々にわたりて息づいていきました。
第三章|柿の実に宿る、武士(もののふ)の言霊
――そして時は流れ、戦国の世となりました。
伊那の谷には、その受け継がれし、土着の魂を宿す八人の志高き侍たちが現れたのです。
その者どもは、南朝の志を胸に秘め、甲斐の信玄の威に抗いました。やがて夜陰に紛れて討ち入り、いさぎよく散ったのです。
されど、その誇らしき魂は、今もなお、かの地に棲まう龍のごとく、人々の心の奥つ方に息づいています。
そして秋風に揺るる柿の実は、国津の侍たちの言霊(ことだま)を、そっと宿し続けているのです。
八人の武士の魂(たま)は、土に根ざし、名を求めず、志を灯し、やがて秋の実りとなりて、民の暮らしを静かに見守ってきました。
散りし者どもの“国津の志”は、この地に今もなお鎮まり、長谷の民に受け継がれ、かくして、その茜色に染まる祈りの刻は、世々(よよ)に渡り、長谷を守る結界となったのです。
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