🟫長野|信州新町 ― 山の川や沢を使い、犀川を渡り、市を開き、舟で荷を運んだ土地

信州新町では、犀川が山あいを蛇行し、そこへ支流や沢が流れ込んでいます。信級・山上条などの山側と、上条・新町などの犀川沿いでは、水との関わり方や仕事、外との行き来のあり方も異なってきました。

ここでは、信級、山上条、上条・新町を並べ、川や沢、仕事、道、市、舟運、祭りの場所を手がかりに、信州新町の土地と暮らしを見ていきます。
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1|犀川の深い谷と、支流が入り込む山の土地

信州新町では、犀川が山地の中を大きく蛇行しながら流れ、深い谷をつくっています。その周囲には、山から下る支流や沢の谷が入り込んでいます。

犀川沿いには段丘や川沿いの低地があり、その背後には山腹や谷筋の土地が続いています。山側では、小さな川や沢の近くに集落や耕地が点在しています。

小さな川や沢の近くに暮らす山側の土地と、大きな犀川に接する土地が、同じ地域の中にあります。

2|当信川と用水を使う信級の麻づくり

信級には、当信川や柳久保川が流れています。明治初期の信級村の絵図には、当信川のほか、用水堰や多くの橋が描かれています。村では米や麦などとともに麻が栽培され、麻の加工や商いも行われていました。

収穫した麻は、水場の釜屋や家の作業場を使って加工されました。信級には、麻を煮る「麻煮の釜屋」が残っています。かつて麻釜は各集落にあり、水場のそばにつくられていました。

冬には釜屋で麻を煮て水に浸し、その後、家の「麻掻き場」で表皮を落として精麻に仕上げました。信級では、畑で麻を育て、水場で加工し、さらに家で仕上げる仕事が続いてきました。

3|太田川と沢に沿う山上条の集落と仕事

山上条には、太田川のほか、内匠沢、八重越沢、笠子沢などの川や沢があります。明治初期の記録には、上川、下川、西平、太田、笠子、大久保、赤柴など複数の集落名があり、山腹や谷沿いに暮らしの場所が分かれていました。

村では麦や豆、蕎麦などの作物に加え、桑、楮、麻などもつくられていました。農業や養蚕のほか、山仕事、商工業、出稼ぎ、織物など、複数の仕事が行われていました。

山上条では、川や沢に沿う山の土地に集落と耕地が分かれ、農業や養蚕、山仕事、織物などを組み合わせて暮らしてきました。

4|犀川沿いの渡し・川除・市

上条・新町側では、犀川を渡る場所や、増水から土地を守るための施設がつくられてきました。明治初期には、上条村と新町村が「信岡村」として一つになっていた時期があり、その絵図には犀川と川沿いの土地が描かれています。

そこには、「下市場渡し」「淵頭渡し」という渡し場や、「神田沖川除」「町裏沖川除」という川除が記されています。人びとは犀川を渡る場所を設け、増水から土地を守るための施設もつくってきました。

新町には近世から市が開かれ、麻、楮、和紙、薪、塩、穀物などが取引されました。周辺の山間部からも、さまざまな品物が持ち込まれました。

5|山側から北安曇・糸魚川方面へ延びる道

信級や山上条の山側には、北安曇や糸魚川方面へ向かう道もありました。

明治初期の信級村の絵図には、北安曇郡方面へ向かう道が描かれています。当信川や用水を使って作物を育て、麻を加工する暮らしの一方で、山地の外へ向かう道も使われていました。

山上条の記録には、信岡村から糸魚川方面へ向かう道も記されています。

6|新町でつながる犀川の舟と陸路

1832年、松本方面から新町まで犀川を使う通船が始まりました。犀川は、荷物を運ぶ水運にも使われるようになりました。

新町より下流には、舟で通りにくい難所がありました。そのため、新町まで舟で運ばれた荷物は陸へ上げられ、馬などに積み替えられました。そこから久米路橋を渡り、稲荷山や善光寺方面へ陸路で運ばれました。

新町では、犀川を使った輸送と陸上の道が接しました。舟で運ばれてきた荷物を陸路へ引き継ぐことも、町場の仕事の一つでした。

1902年に篠ノ井線が開通すると、犀川通船は急速に衰えていきました。交通手段の変化とともに、新町で人や物を運ぶ方法も変わっていきました。

7|上条・山上条が共に支える宝鏡神社

上条は犀川沿いにあり、山上条には太田川や沢の入る山側の集落があります。その両地区の氏子が、共に参拝し祭事を行える場所として整えたのが宝鏡神社です。

1925年に新しい神社を整備する事業が始まり、1928年に現在地の社殿が完成しました。上条と山上条の人びとが、地区を越えて共に祭る場所をつくりました。

1983年には、神社背後の斜面が崩れて拝殿が全壊しました。その後、斜面の復旧工事が行われ、1987年に拝殿が再建されました。

宝鏡神社は、上条と山上条の人びとが共に祭る場所として整えられ、斜面災害を受けたあとも斜面を復旧し、社殿を再建しながら維持されてきました。

8|信州新町という土地の働き

信州新町では、山の支流や沢の近くと、大きな犀川の沿岸で、水との関わり方が異なってきました。山側では小さな川や用水を農業や加工に使い、犀川沿いでは渡しを設け、増水に備え、市を開き、川を交通にも使ってきました。

さらに信級や山上条には、北安曇・糸魚川方面へ向かう道があり、新町では舟で来た荷を陸路へ積み替えました。信州新町は、山の支流や沢を使う暮らしと、犀川を渡り、増水に備え、交通に使う暮らしが同じ地域に並び、山側にも別の地域へ向かう道が延びてきた土地です。

主な確認資料